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2011年8月

真司2ゴール! 清武2アシスト!

 昨日の札幌ドームの観客は、高いチケット代もさぞや安く感じたことだろう。 U-22代表とフル代表の2試合を見られた上に、両者とも勝利。 特にフル代表は永遠の宿敵韓国を相手に、海外組オールキャスト(長友は欠場だったが)勢ぞろいで、3-0という圧勝だ。

 真司の先制点。 チュンソンのパスを受けた瞬間、「あっ、コントロールミス!」と思った。 しかし、ミスタッチを補うための次のタッチがすさまじく早い。 デカイ韓国DFが足を出した時はもう遅い。 次の瞬間、ウドちゃん似のGKには止められないコースにシュートが飛んでいた。 ファーストタッチが乱れたことが、相手DFにとってはフェイントのような効果があったわけだ。

 2点目は本田。 駒野が強引にボックス内に侵入したのには少々驚いた。 しかもシュートは低く強烈だった。 ウドちゃんが弾いたところにいたのは、フル代表デビューの清武。 岡崎の負傷交代で、ザックのファーストチョイスがまさか清武だとは。 ザックさん、清武がよほど気に入ってるのね。 

 「打て!」とMYプラズマテレビの中の清武に向かって叫んだ瞬間、清武の選択は本田へのプルバック。 受けた本田も本田だ。 利き足の左で蹴ろうと、体を無理に開いてゴールの中へパスするかのようなコントロールシュート。 

 さらに3点目。 カウンターから、真司は右前を走るチュンソンではなく、さらに右にいた清武へのパスを選択。 しかし、チュンソンの足に当たってコースが変わり、相手DFが足を一瞬止めてしまう。 でも結局ボールは清武へ。 ここでも「シュート!」と叫んだが、またも打たずパスを選択する初々しさというか、遠慮深さというか、典型的日本人選手というか。。。 

 昨季、セレッソでの、8番真司と13番キヨの 「競演」 はたった1試合。 5月5日、長居で鹿島を2-1と降した試合、後半38分からの7分間だけだった。 南津守グラウンドの練習中にしか見られなかった、キヨのアシスト→真司のゴール! 10番と11番で、ユニフォームも 「青」 だったけど、2人の熱い抱擁が見られたのは、心から嬉しい瞬間だった。

 初キャップの試合で2アシストだから、合格点は間違いないのだろうが、シュートも見たかった。 でも、さすがに大分下部組織の最高傑作(トリニータに感謝!)です。 冷静かつ正確無比な2本のラストパスには脱帽するしかない。 ワールドカップ予選にはこれで当確かな。 関塚さんはどうする?

 そして、香川真司と本田圭佑の自信に満ち溢れたプレーぶりにはつくづく感心させられた。 2、3人に囲まれても全く動じる様子がない。 前回、トップ下でプレーさせてくれと書いた真司だったが、ザックはやはり左に置き、センターには本田。 でもアジアカップでは、やや窮屈そうにプレーしていた真司は、もういなかった。 近い位置でプレーする2人が美しいハーモニーを奏でたゲームは、これからも語り継がれるべき試合となった。

 真司にとって、前回書いたように、スーパーゴールを決めた札幌ドームは、本当に縁起のいい場所なのかもしれない。 いやいや、これからは、どんなスタジアムでもゴールを決め続けてくれないと困るんだ。  

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 最後に「37年前」の日本が4-1で韓国に快勝した試合のメンバーに敬意を表して書き記しておく(後藤健生著、日本サッカー史 資料編より引用)

1974.9.28 15時4分 国立競技場 晴 観衆12000人
日本4-1(2-0)韓国 
監督 長沼健
横山謙三(三菱)
落合弘(三菱)
川上信夫(日立)
清雲栄純(古河)
大仁邦弥(三菱)
藤島信雄(日本鋼管)
森孝慈(三菱)
荒井公三(古河)(→平沢周策(日立))
吉村大志郎(ヤンマー)
釜本邦茂(ヤンマー)
渡辺三男(藤和不動産)  

得点:35分釜本 39分吉村 53分釜本 
65分金在漢 79分荒井

そう、先日亡くなられた森氏の素晴らしいゲームメイクが光った試合だった。
(2011.8.11 23:00)

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歓迎、大竹洋平! 真司、札幌ドームでスーパーゴール再現を! 

 ついこの間まで乾貴士がつけていた 7番 は、FC東京から加入したレフティ大竹洋平選手(以降敬称略)がつけることになった。 クラブは彼への期待の大きさを表現したかったんだろう。

 ところで今日、F東のHPをながめていて初めて知ったのだが、大竹は今月1日に虫垂炎の緊急手術を受けている。 セレッソ加入後、即、激しいトレーニングが出来るかどうか。

 彼を初めて見たのはU-18時代、2006年12月のJユースカップ。 長居の準決勝3-0名古屋U18と、ユニバーの決勝0-2広島ユース戦。 準決勝の記憶はない(出ていたとは思う)が、決勝では途中出場で高い技術を発揮していたことを覚えている。 でも、ひょっとすると、根っからレフティ好きの私だから、覚えているだけなのかも・・・

 その翌年も再び決勝進出し、2-1で柏U-18を降し見事優勝している。 この年は10番を背負い、優勝に大きな貢献をしていた。

 トップ昇格後の記録を見ると、
1年目(2008) J1・23試合、計802分 4ゴール
2年目(2009) J1・13試合、計309分 0ゴール
3年目(2010) J1・14試合、計566分 2ゴール
4年目(2011) J2・11試合、計227分 1ゴール

 やはりトップ昇格した1年目の活躍が印象深い。 セレッソがJ2にいた頃だから、J1のゲームはあまり見ていないのだが、それでも試合のハイライトは欠かさず見ていて、結構いい働きをしていた記憶がある。

 今季はここまでの19試合のうち、11試合に出場、7試合にベンチ入り、直近の1試合だけはベンチ外(手術したのだから出られるはずがない)。 これを見ると、決して大熊監督の構想外だったわけでもなさそうだ。 レギュラーを奪えなかったのには、色々理由はあるのだと思う。 出場機会を得たい思いから、中学からずっとプレーしたF東を離れるのは大きな決断だろう。 ロンドンオリンピックを狙いたい気持ちもあるだろうし。

 今季、F東の試合を見たのは、5月の京都1-4FC東京(西京極)だけ。 今季の出場記録を見ると大竹がスタメンで出たのは結局2試合だけで、フル出場できたのは、なんとあの京都戦だけ。 次の試合もスタメン出場したが、途中で交代している。 たまたま見た京都戦ではしっかり得点も決めた。 4-4-2の右の攻撃的MFで、CKのキッカーを任されていた。 攻撃的な仕事だけでなく、「意外に守備も頑張るな」と言うのが彼の印象だった。 

 先輩の茂庭照幸もいることだし、清武弘嗣は同学年だ。 「関西」に溶け込むのには時間がかかるかもしれないが、若いチームだから、スンナリ受け入れられるだろう。 清武がワールドカップ予選に呼ばれる可能性を考えれば、大竹加入はかなり有効な補強だといえる。 

 もっとも、セレッソにとっては、U-22代表に清武を持っていかれるよりは、フル代表の方がはるかに望ましい。 乾貴士なきあとの、チームの「顔」となるべき選手に、フル代表という 「箔がつく」 のは観客動員にもいい影響が出るはずだ。 10月のシリア戦は長居で行われるのだし。 

 もしオリンピック予選となると、アウェーゲームや合宿等を入れれば、J1のかなりの試合に出られなくなる。 フル代表なら、ワールドカップ予選とJ1のゲームで相当過密日程となり、清武自身には相当な負担がかかるが、国内組なら誰もが通る道だ。 現在の勝ち点では、今後残留争いに巻き込まれる可能性があるだけに、清武抜きでの試合数は少ないに越したことはない。 しかし、フル代表に生き残れるかなあ。 頑張って欲しいのはやまやまなのだが。

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 さて、今週末は今季3試合の大阪ダービーだ。 まだナビスコや、天皇杯でも対戦の可能性があるが、一応はJ1開幕戦1-2、ACL1-0の後を受けて決着をつけるべき一戦だ。 しかし、その前に明日は日韓戦。 

 2009年4月、コンサドーレ戦で真司が襲いかかるDFたちをスルスルと抜き去って、左足でコロコロと蹴り込んだスーパーゴール。 あの試合の舞台は札幌ドームだった。 でも試合は1-4の大敗。 康太の痛恨のトラップミスが痛かったな。 「ああ、今年もJ1昇格は無理なのかなあ」と落ち込んだ試合だった。

 ドルトムントの開幕戦もゴールこそなかったが、ずっとリハビリしていたのが嘘のような活躍ぶりだった。 セレッソでは同じピッチに立つ時間の少なかった清武と絡むシーンも見たい。 ザックさん、お願いだから、真司はトップ下で使ってくださいな。 

 U-22代表の試合がBS-TBSで16時から、日韓戦はTBS系で19時から中継だ。
(2011.8.10 2:07)

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松田直樹よ、安らかに!

 松田が急性心筋梗塞で入院したと知ったのは、取材を終えて帰宅した夕刻のことだった。松田が生死の境をさまよっている中、このブログで松田について何か書こうかと思ったのだが、書いてしまうと、松田がもう帰ってこないような気がしてやめた。 ただ回復を祈るだけだった。

 しかし、松田は逝ってしまった。 プロスポーツマンだから、鍛え抜いた肉体だから、意識不明のまま2日間も、命の炎を消さずに燃え続けさせられたのだろう。 

 松本山雅では、単身赴任だったのだろう。 突然の別れで、奥様やお子さんたちに、何の言葉も残せず旅立つことは、さぞかし悔しいことだったろう。

 34歳。 サッカーマンとしては終盤に近づいていたのかもしれないが、人としては、男としては、まだ人生半ばにも届いていない。 あまりにも、あまりにも早すぎる。

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 日本で開催された、93年のU-17世界選手権(現U-17ワールドカップ)1stステージの第3戦、神戸ユニバーでの日本2-1メキシコ戦が、私にとって 「 初 松田直樹 」 だった。 

 この大会、全4試合にフル出場した松田は、小嶺忠敏監督、小見幸隆コーチのコンビの方針でFWからCBへコンバートされていた。 今も、昔も日本は長身CB不足に苦しんでいたんだなと実感する。 観戦したメキシコ戦では、1-1から決勝ゴールを決めたのが彼だった。

 2年後、95年のワールドユース(現U-20ワールドカップ)にも全4試合フル出場。 ワールドユースには、79年の自国開催以後、挑戦し続けてきた日本だったが、初めて予選突破を果たしたのが95年大会だった。 以後日本は7回連続出場を続けることになる。 

 この95年は準々決勝でブラジルに敗れたが、翌年のアトランタオリンピックでしっかりリベンジを果たす。 マイアミの奇跡だ。 続く2000年シドニーオリンピックにも出場し活躍。

 フル代表デビューも2000年。 2002年の日韓ワールドカップでは、トゥルシエのフラット3、右CBで奮闘したことは、誰もが忘れていないはずだ。

 DFとして、高さ、早さ、フィードと能力の高さは十分認められていたが、「切れやすさ」でも有名だった。 その点では 「大久保嘉人並み(失礼!)」 だった。 代表戦で早い時間にイエローをもらうと、「もう1枚、もらうなよ」と心配しながら観戦したこともしばしばだった。

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 セレッソとの対戦でも印象に残る試合がある。 

 2000年1stステージ、セレッソは最終節で川崎Fに敗れ優勝を逃す。 その前節、雨の三ツ沢での大激戦、横浜FM2-3セレッソ。 敗れたとはいえセレッソの前に立ちはだかったのが松田だった。 

 そして2005年第33節、日産スタジアムでの横浜FM対セレッソ。 セレッソはモリシの先制点を守り切れず、終盤に追いつかれ1-1のドロー。 同点ゴールは松田だった。 しかし、同節G大阪が敗れたことで、セレッソは首位に立つ。 セレッソ58、G大阪57、勝ち点差はわずか1。 

 もし松田の同点ゴールがなければ、セレッソは60となって、G大阪に3差をつけることができていた。 そして、最終34節、FC東京に試合終了間際に同点とされ引き分け、セレッソは初優勝をG大阪に譲った。

 もちろんFC東京・今野の同点ゴールは悔やまれる失点だったが、優勝を逃した瞬間に頭をよぎったのは、その前節の松田の同点ゴールだった。 横浜FMに勝っていたら最終節引き分けでも優勝できたのだから。

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 たとえ命をとどめることができても、おそらく松田がサッカー選手として復帰することは叶わなかっただろう。 「もうサッカーができないくらいなら、生きている意味がない」 ひょっとして、そんな理由で、向こうの世界へ行くことを選んだんじゃないか? そんな想像をさせるくらい、サッカーが大好きで、大好きで、大好きだった選手が、2011年8月4日13時6分、星になった。
(2011.8.5 1:12)

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